褒められるから伸びる!その考えがイライラの原因なのかもしれない

5人の男女が左手を挙げてガッツポーズをしている

まさかこんなことがイライラに繋がるなんて考えもしなかった。

ですが、よくよく考えてみると思いあたる節が結構あるんですね。

あなたも時代の変化とともに人間関係も難しくなってきているように感じませんか?

その中でも特に、何かを人にレクチャーするときなどに顕著に表れるのではないかと思います。

会社や学校といった協調性、社会性が必要となってくる場所では、今まで以上に多くのことを考えさせられます。

自分のことよりも相手のことを優先的に考えなければいけない現状、そして、この事実がストレスとなり得ることだとしたら、そしてイライラする原因となっているのだとしたらどうでしょうか。

昭和時代のスタイル

昭和時代の駄菓子屋さん

僕のような昭和時代の人たちには、あまり人様から褒められたという記憶が少ないのではないかと思います。

ご近所さんは別にして、両親を始めとし、学校の先生、塾の講師、会社の上司、その他多くの周りの人たち・・・

何かをする度に

「ここがダメ」

「そこがダメ」

「あれじゃーダメ」

「ほんと、お前はバカなんだから」

「バカにつける薬はない」

自分ではかなり良い線を行っていると思っていたとしても、評価はご覧の通りです。

結局の所、何をやってもダメ出ししか頂けませんでした。

学習塾に至っては、頭の良い子のレベルに合わせて勉強を教えるので、少しでも落ちこぼれると、もうついて行くことなどできるはずもありません。

できなければ面白くもなんともないので、サボるという行為を覚えるわけですね。

学校でも成績優秀な生徒くらいしか褒められるようなことはなかったような気がしますし、僕のような落ちこぼれと比べて優遇されていたようにさえ思います。

「なぜこんな簡単な問題ができないの」というヒステリックな声。

「できないのか。この中身はどうなっているんだ」と頭を小突かれる。

社会人となってからも言う程変化はありませんよ。

「仕事は見て覚えるんだ」

「何回も聞いてくるやつはバカだ。1回で覚えろよ」と、ある程度のキャリアを積んだ人にしか理解できないような説明の仕方なのに分かるわけなどありません。

ですが、この時代はこれで良かったのです・・・

きつく、厳しく当たられると

「えっ、何だって、今に見とけよ!」

バカだアホだと罵られれば罵られるほど「なにくそ!」「よっし、やってやるぞ!」と発憤興起したわけですから。

発憤興起
気持ちを奮い立たせて、つとめ励むこと

その当時は、誰もがハングリー精神を持っていた時代でしたし、メンタル的にも強かったのかもしれませんね。

褒めてこそ伸びるという考え方

両手を挙げガッツポーズをいている女性の後姿

現代に於いては、僕たちの時代のやり方では通用いたしません。

学校では体罰だ、暴力行為だと騒ぎ立てられ、少しばかりきつく言えば、暴言となりアウトな時代です。

親御さんは親御さんでモンスターペアレントといわれ、ありえないクレームで教師は叩かれますし、勉学はもとより、協調性、社会性、規律などを教える立場の先生も大変なことだと思います。

僕なんて、親はもちろん先生にも何度叩かれたことか・・・

悪いことをすれば「怒られ叩かれる」当たり前といえば当たり前なことですよね。

社会人になってもそう。

仕事を覚えるのが遅ければ嫌味を言われバカにされるのなんて日常茶飯事なことですし、ときには手が飛んでくることも・・・

何もかもに恵まれている今では、ダメなところをクローズアップすることは絶対的にNGですよね。

ダメ出しばかりですと、気持ちも萎えてしまいますしネガティブなことばかり考えるようになってしまいます。

仕事でそのようなことが続くと、モチベーションもだだ下がりですし、生産性が落ちてしまうことに間違いありません。

では、今の若者たちに頑張ってもらうためにはどうすればよいのか?

簡単ですよね、褒めて褒めて褒め倒すのです。

「君はなぜそのようにしたの?」

「君のしたことはこういうことだから、間違っているよ」

「誰がそうしろって言ったの」

「どうやって責任をとるつもり?」

このような減点方式ではなく

「あの言い方は良かったね」

「契約まではいかなかったけど、プレゼンすごく良かったよ」

「結果はダメだったけど、プロセスが大事なんだから、君はよくやったよね」

悪いところがあれば、必ず良いところもあるはずなんです。

その良いところにスポットをあて、加点方式で考えることが今という時代に大切なことではないでしょうか。

どこの誰が書いていたのか記憶にないのですが、僕の大好きな一節です。

褒められるとそこを伸ばそうとする

褒められずに何もなければ、その日で全て終わり

本当にそう感じます。

最近よく聞く「僕は褒められて伸びるんです」というセリフを使う若者のなんと多いこと。

ですが、このことは決して間違っているわけではありません。

単純に褒められるからこそ、「よし、頑張ろう!」と思えるのですし、次も褒められたいという思いから仕事(物事)に対して真摯に取り組めることができるんですね。

逆に、褒められることが無いと、自分の何が、どこが、どういった部分が良いのかサッパリ分からないという困ったことにもなります。

自分の良いところを伸ばすことができないということは、成長できないということですから。

ダメなところ(短所)はさり気なく、良いところ(長所)は派手にといった感じが良いのかと思います。

褒めることがイライラを募らせる

両手を握りしめ、怒りをガマンしているスーツ姿のサラリーマン

今という時代の波に乗れれば良いのですが、昭和の頑固者はなかなか乗ることができません。

自分自身がされてきたように、「ガツン」と文句のひとつでも言いたいのですが、後のことを考えると簡単にはできないのが本音です。

ここでぐちぐちと説教や注意でもしたら

「明日から来ないんじゃないだろうか?」

「パワハラだと上司に相談するんじゃないだろうか?」

女性に関しては、パワハラ+セクハラということも念頭において接しなければいけないので、これまた考えものです。

社会人ともなれば自分の感情だけで物を言うことなんて余程のことがない限り無いということは分かっていただけると思います。

ですが、一言いうだけでも今まで以上に気をつかわなければならないという事実は否定できるものではありません。

これが、しんどいのです。

「褒めてこそ伸びるという考え方」でいろいろと書いてきましたが、そう上手く思うようには行かないのが現実なんだと切実に感じています。

意識して実施しようとはするのですが、ある意味「愚痴りたい」「大声で怒鳴りたい」などといった自分の意志を押し殺しているのですから、小さなイライラが溜まってくることは必然ですよね。

爆発しそうなのを我慢して、思ってもないようなことを並べて・・・褒める・・・本当にストレスです。

褒められる側としたら気分が良いのかもしれませんが、褒める側は気分が良いとは限りません。

「褒める」

この素敵な言葉のおかげでイライラしているのかもしれませんね。

おわりに

左手を顔に当て考えているワイシャツ姿の男性

僕自身の個人的な感じ方なのですが、確かに一昔前ですと怒鳴られて、怒られて、どつかれて、「なにくそ!」と思っていた気持ちに嘘はないのですが、「今現在はどうなの?」と問われると、きっと「もうどうでもいいや」となってしまうような気がします。

反対に褒められると「次はもっと上手くやるぞ!」とモチベーションも上がり気分上々になってしまうとも思います。

人間は感情の生き物ですから、やはり悪く言われるより、良く言われる方が良いですよね。

僕も怒ったり叱ったりすることを我慢している部分もあると自覚できていますし、そのことがストレスとなりイライラしたりしていると感じていることも事実です。

社会人となり人を教育する立場にある方の問題のひとつです。

褒めるという行為がイライラを生み出しているのだとしたら、そのイライラを解消することはできるのでしょうか?

褒められて嫌な気持ちになる人などいないのですから、褒めることを大前提として自分自身とどう向き合っていくのかということを今後の課題としたいと思います。

褒めることによるストレス、イライラ・・・あなたならどう対処しますか?

 

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