自分の存在価値が分からないと悩んでいる人に伝えたいこと

僕自身もそうなのですが

「何のために自分はいるのだろう?」

「僕自身の存在は本当に必要なのだろうか?」

また酷くなってくると時として

「僕なんていなくなってしまった方が良いのかもしれない」

などと思ってしまうことがあったりもします。

一体、僕は何なのだろうと・・・

誰でも一度くらいはこのようなネガティブシンキングに陥ってしまうこともあるのではないでしょうか。

存在価値とはそもそも何?

 

「自分には価値がない、存在している意味は?」と悩まれている方も居られて当然です。

では「存在価値」とは一体どういうものなのでしょうか?

存在価値(そんざいかち)とは、ある人間やものが存在する事の価値を表す言葉である。ただし、明確に数値化されるものではなく、価値の大きさは専ら「ある」「ない(ゼロ)」のみで表現される。

引用:Wikipedia 存在価値

少し理解しにくいかと思いますので、もっと簡単に分かりやすくgoo辞書ではこのように表現されています。

その存在を意義あるものとして認めるような、人や物事の持つ価値。

引用:goo辞書 存在価値

「自分自身が今ここにいることの意味は何かあるのか?」ということです。

それは、誰かやあるものの役に立つこと、必要とされていることなどが自分自身に当てはまるのかといったことだと言い換えることができます。

職場で、家庭内で、プライベートで・・・本来ならば必要とされるはずなのに、もしかすると必要とされていないのでは・・・そうは思いたくないのだけれど、考えれば考えるほどに思考は悪い方へ悪い方へとと向かっていきがちです。

なぜ僕たちは自分の存在価値をアピールしたいのでしょうか?

存在価値とはそれほど大切なものなのでしょうか?

存在価値を求める理由

 

人として至極当然なことなのですが、誰かに自分というものを認めてもらいたい。

例えば職場で

「〇〇くんがいてくれて助かったよ」

「やっぱり〇〇くんに頼んで正解だね」

家庭においても

「お父さんに任せていれば大丈夫」

「お父さんって本当に頼りになるわね」

プライベートでの知人から

「〇〇に相談して良かったよ」

「〇〇くんって、物知りだから助かるよね」

そうなんです、誰かに必要とされ頼ってもらいたいという気持ちが「存在価値」へ繋がっているわけですね。

もしもそれがこのようなことでしたらどう感じられますか?

「このくらいのこと誰でもいいか。じゃ〜、〇〇くんやっといてね。」

「ちょっと〇〇くん。あっ、やっぱり△△さんに頼むからいいや。」

誰に頼んでも良いようなこと、僕では役に立てそうにないような言い方をされるとき・・・

この職場に僕の居場所はあるのかな?

家庭でも

「子どもたちと旅行の計画決めたからね」

「今度の土曜日□□へ行こうと思うんだけど、お父さんどうする?」

交友関係で

「〇〇日の日曜日、✖️✖️さん達と□□に行くんだけど、△△さんは無理だよね」

「明日は休みだから、久しぶりに皆で飲もうってなったんだけどどうする?」

何もかも、今突然に決まったわけではないはずなのに僕の知らないうちに僕なしですべてが決まっていき、僕はおまけ的な存在。

そうなっってくると逆に僕が行かない方が良いような感じさえしてきます・・・

そう思ってしまっても仕方がありません。

どこに居ても僕の居場所なんてありません・・・

存在価値を求める理由は、おまけ程度とか横並びではダメなんです。

突き詰めると、自分自身が他者よりも優位な状態でなければ存在価値という価値観を見出すことができません。

〇〇くん凄い、お父さん凄い、〇〇くんどうしたら良いと思う・・・

そうなって初めて存在価値、存在理由が明確となってきます。

【存在価値=自分の優位性】

「やっぱり、僕がいないとダメなんだ」

「僕が・・・」「僕が・・・」と、存在価値とはある意味「自己中心的」なものなんですね。

さてあなたはそのような価値観が本当に必要だと思いますか?

存在価値を求めないためにできるたった一つの事

 

存在価値に疑問を持つケースをいくつか挙げてみます。

    • 他人の状況と比較したとき
    • 他人に冷たくされたとき
    • やりがいをなくしたとき
    • 自分の居場所がないと感じたとき
    • 自分の代わりは他にもいると感じたとき

数え上げるときりがないほどにありますが、共通しているところはやはり自分の優位性だと思いませんか?

また、存在価値が分からない人に対し「自己肯定感を持ちなさい」ということを言われるのですが、本当にそうなのでしょうか?

自己肯定感の定義
  • 現在の自分を自分であると認める感覚
  • 自分自身のあり方を肯定する気持ちであり、自分のことを好きである気持ち
  • 自己に対する評価を行う際に、自分のよさを肯定的に認める感情
  • 自己肯定感とは「自分は大切な人間だ」「自分は生きている価値がある」「自分は必要な人間だ」という気持ち
  • 自己の価値基準を基にした、よいもダメも含め自分は自分であって大丈夫という感覚

良いも悪いも自分のすべてを自分だと受容することだとされていますが、自分自身を受容することが簡単にはできないからこそ悩んでいるわけです。

ではどのようにすることが解決策となるのでしょうか?

それはたった一つだけです。

今、あなたは誰がなんと言おうと存在しているのです。

でしたら

「今を精一杯生きましょう!」

終わってしまった過去を振り返ってみても何も変わることはありません。

結果を悔やみそのことに捕らわれるということは、時間の浪費でしかないと断言できます。

未来もそうです。

あれやこれやと考えたところで、自分の思い描いたシナリオ通りに行かないのが世の常、未来なのです。

「僕はこのことが最優先だと思っているけど、もしかするとあっちの方が大切なことだったらどうしよう?」

「この調子では全然目標に届かないのでは?」

都度変化していく未来に対して不安を感じても仕方がありませんよ。

それだったら、今というこの瞬間を悔いのないようにすることがベストだと思いませんか。

今この瞬間を一生懸命に生きることは、今という一つの点でしかありません。

未来とは「今という点」がいくつも集まって繋がることで線となり未来・将来となるのですから、この瞬間を悔いのないものにするしかありません。

あなたの目の前の人を大切にし、直面している物事に対して真摯な姿勢で取り組むことがよりベストな結果へとなり得るのです。

あなたのことを見てくれている人は、あなたが気付いていないだけで必ず存在しています。

今という瞬間を悔いなく精一杯生きることは必ずあなたの周りの環境をも変えて行く力があるのですから・・・

おわりに

 

自分の居場所がなく、存在理由も見つけられなければとても苦しく辛い毎日となります。

実際、僕自身も決してメンタルが強いとは思ってもいません。

「もう、どうでもいいや」

「こんなクソみたいな俺って何やねん」

「みんな好きにしたらいいねん」

などというようなことを何度も何度思い自暴自棄になったりもしました。

そんな自分自身をどうにかしたいと貪るように読書に耽ていたときに考えさせられる一節に出会ったのです。

「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日なんだ。」

韓国のベストセラー小説「カシコギ」に出てくる一文になりますが、あなたはどのように感じますか?

その人の環境によって捉え方や感じ方は大きく変わってるものだと思いますが、もしも昨日死んでいった人が近しい人だとしたら、我が子だとしたら・・・無二の親友だとしたら・・・愛する恋人だとしたら・・・今日という1日を無駄になんて過ごせないですよね・・・

だからこそ、今を精一杯生きるしかないんです。

存在価値という価値は僕たちの行いの後からついてくるものですから。

きっと

「どうでもいいや」

「なんとかなるさ」

「一生懸命やったところで・・・」

「どうせ・・・僕なんて」

「どうせ・・・無駄だし」

「どうせ・・・どうせ・・・どうせ・・・」

そのような考え方、心構えだからこそ自分自身はもちろん、第三者にも評価されることがなくなってしまうので、価値というものが付帯されることなんてあり得ません。

そのような気持ちでで毎日を送っているのなら、僕やあなたという人間の存在すら周りからはどうに思われているのか怪しいものだと思いませんか?

存在価値が分からなくて悩み苦しんでいるのでしたら、僕たちにできることは今というこの瞬間を大切にすることしかできないのです。

悩み苦しみ辛いときでも、精一杯悔いの無いように生きるその瞬間こそ、僕がそしてあなたが存在している理由に間違いはないのですから。

今という一つの点をいくつもいくつも繋ぎ合わせて素敵な未来(腺)にしてみないですか。

大丈夫!

存在していること自体に価値はあるのですから・・・

 

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